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2010年10月10日 - 2010年10月16日

2010年10月15日 (金)

弁当できた

今日は妻は出張&つきあいのため、息子の分たけ。F63EF789-0F3D-4BEC-94E5-8FEB5B8EAA6E

2010年10月14日 (木)

ハセツネ参戦記 5

三頭山の登る区間ではいつの間にか雨がやんでいました。そして次第にあたりは冷え込んで体から熱を奪っていきます。上半身はまだ暑いのですが、それでも汗は止まっています。両足は、疲労に加えて寒さで痛みを感じ始めています。振り返ると木々の梢の間からちらちらと美しい東京の夜景が広がるのが見えました。すでに行動時間は8時間を超え、時刻は夜の9時を越えました。この登りの間についに最後の水を飲み干しててしまいます。

三頭山からの下りは思いの外厳しい下りでした。事前に道が分かりにくいから試走しておけと言われていたのですが、点滅灯のおかげで道を間違える心配はありませんでした。都民の森への道が複雑に入り組んでいるので、ここまで丁寧にルート案内をつけてくれなければおそらく間違えていたでしょう。

山頂直下の厳しい下りが終わってしまうと道は再び泥濘(ぬかるみ)になりました。槇寄山の登りとは違い、その区間はそれほど長くはないもののやはり、勾配が強い場所では消耗が激しくなります。鞘口峠までの間に水はついに空になりました。私は鞘口峠から月夜深山の第2CPまではそれほどの距離とは思っていなかったのですが意外に手強い。風張峠までの区間は勾配もスピードを乗せやすく、周囲のランナーたちは一斉にペースアップをしてきます。水の補給を失って、先の距離感が分からない状態で暗い中周りのランナーと同じようにペースを上げることはリスキーに思え、あえてトップには入れず、セカンドギアを守ることにしました。

 そのとき、うれしい事を発見しました。東京の夜景が前方に見えるのです。
そう、ついに71.5キロの半分を超えて方角が東に向かった確かな証拠でした。折れそうになっていたこころが勇躍、つらさを跳ね返し始めた瞬間です。

 しかし、やがて路面が乾いていくと同時に周りのランナー、特にポールを用いている人たちは快調に飛ばしていきます。遅れないためにはある程度ついて行かなくてはなりません。下りの、特に木の根っこを飛び越えるときの段差が効かなくなりつつある左足の筋肉につらいつらい。鞘口峠にたどり着くと舗装された路面を絡むように進みながら再びトレイルにコースはつながります。ハセツネ公式マップではここが迷いやすいという事なのでしょう。わざわざこの区間の詳細図がついています。なぜかは分かりませんがその説明図の区間が数百メートルの事だと勘違いしていました。実際には数キロメートルもあるかなりヘビーな区間だったのです。

 コースを案内してくれるオフィシャルに前後の人が走りながら訪ねます。「後何キロ?」
「2キロで第2CPですよ。」ほっとする自分がいます。しかし、1キロ以上走ったところで次のオフィシャルは同じ質問に、「あと2キロちょっとですよ」

 増えているではないか!!

 そこからの2キロの長かったこと。この区間で再び舗装路面に出ると周囲のランナーたちはさらにスピードを上げていきます。暗い路面の向こう、私をかわし、追い抜いていった人々のヘッドランプの先に明るく照らされたテントが見えてきました。月夜見第2駐車場。9時間36分、夜10時36分に42キロ地点に到達したのです。

 足の筋肉の深いところを突き刺す寒さと疲れ、汗が思うように流れなくなった上半身の暑さと寒さの同居する奇妙な感覚。体温調節機能が低下してきたのが分かります。先ほどウインドブレーカーを脱いだのは正しかったのでしょうか?

 ナンバーカードのチェックが済むとすぐに給水所のテントがありました。どうやらポカリスエットと水の準備があり、総量1.5Lをまもれば組み合わせは自由で、カクテルもしてくれるようです。担当の人たちは余計なことは口にしませんがこの給水の意味を本当によく分かっているようで、手早く作業を進めています。バックパックからハイドレを引き出しながら心の中で感謝しつつ、列に並びます。

 このとき、本当は水が欲しかったんです。さわやかな、リフレッシュとして味のないきれいな水を。でもこの後のコースは大半下見済みで、特に確かどっか岩だらけのきつい登りがあった気がします。(それを思い出せない時点でもうせっかくの試走が役に立っていないのですが。)おそらくは再び消耗戦になるでしょう。そう考えて、全量ポカリをお願いしました。

 テントの裏手にたたんだシートがありました。ちょうど良い腰掛けです。広場の真ん中にブルーシートが敷き詰められ何人ものランナーが倒れ込むように仮眠をとっています。しかしそこへは行かずに闇の中で一人腰を下ろしました。ここでさらに2本、アミノバイタルを流し込み、大福を2つ。そしてショッツも流し込みます。もちろんのどを湿すのはポカリスエットです。味はもちろん最悪です。「食べたくない。」そう感じたのはやはり疲れていたのでしょう。

 最初から仮眠をとらないことは作戦に入っていました。また、ここであまり長時間の停止もしないことも決めていました。エアサロンパスを徹底的に噴霧し、筋肉の痛みを和らげます。そして立ち上がるととりあえず歩き始めます。エアサロンパスは筋肉から痛みを取ってくれましたが、当然アイシング効果もあり、すでに冷え切っている筋肉に寒さという別の負荷もかかってしまいました。

 係の誘導に従ってトレイルに入るとそこは広い尾根筋のどこまでも下る区間。それなのにここで33分も費やしてしまいました。試走をしていないことの影響が出てしまったのです。下り続けることの膝への影響、いつか登り始めるときにどれだけの負荷がかかるか分からない不安が足を止めてしまったのです。続く区間は天神山を越えて小河内峠まで。むしろここの方が倍も速く進むことができました。ここから広く長い登りが始まります。この後の難所、大岳山の登りと並んで今回もっともラップが落ちた場所です。足のギアは当然ローギア。燃費を抑え、心拍を安定させていこうという作戦です。御前山への長く、単調な登り。その中で歩きながら初めて眠気がやってきました。

 後ろから聞こえてくる足音に、私は道を譲ることなく右手を回して「抜かせ」の合図をしました。道は広く、簡単に追い越していけるでしょう。ところが意に反して聞こえてきたのは女性の声で「私も遅いので抜きません」という言葉。

 思わず笑いながら「こっちも遅いから。」と返事をしながら「追われる立場より追う立場を選べ」「追う立場を簡単に放棄してはいけない。」とこれもBorn TO Runの言葉を思い出していました。それから数分、軽い会話を繰り返したのを覚えています。


彼女はレース巧者なのでしょう。つかず離れず、私がわずかな下りで急にペースを速めても、その先の登りで詰まるとすぐに追いついてきます。3時間ほど前、私が他のランナーに与えたプレッシャーを今度は私がかぶることになりました。闇の中、その人の顔を見ることもなく数十分の駆け引きが続きます。やがて彼女はきつい登りで私を追い越しましたが、すぐに抜き返す、その繰り返しです。御前山への登りの最後15分で、彼女はついに私を抜き去り、どんどんと引き離して行ってしまいました。

 あっけない幕切れで引き離されていく間、それ以上ペースを上げられない自分をふがいなく思っていました。頂上に出ると彼女らしい人影がやすんでいましたが、私が現れると、ほかのランナーとともにさらに先を目指して去ってしまいました。この駆け引きと長く続く登りの区間で1.5Lのポカリスエットは完全に飲み干してしまいました。

 このあたりから不思議なことに体が軽くなって来たのを感じました。45キロを越えて疲れ切ったはずなのに、むしろ体に力が戻ってくる感じなのです。それが何かは分かりません。おそらくロウソクの消える間際の明るさなのでしょう。走りながら回復するなんて感じたことはありません。

 私はこのとき驚いたことに先に控える大岳山の存在を忘れていたのです。

 快調に飛ばして大ダワについた時、私は異様に陽気で、そこにいた女性のオフィシャルに軽い感じで話しかけました。

「こんばんは。いやぁ、つかれたよぉ。」
 すぐ後ろのランナーが無駄にハイな私を無視して問いかけます。
「次の水場までどのくらいですかぁ?もう水が500MLしか無いんだ。」
「8キロです」

(え?)思わず駐車場にへたり込む私。

「2時間だな。」
(こっちはもう)「空だよ」

「リタイアしますか?(そのほうがいいですよ)」
「うー。(どうしよう?)」(そんな気はさらさらない)
「この先きついですよ。」

-間-
「さっきも一人行っちゃいましたけど。」

(う~。そうだ)「エネルギージェリーもある程度水分ですよね。ま、いけますよ」と私。
判断力が曖昧になってきていました。

 妙にハイなまま、駐車場を後に再びトレイルへ走り出すとさっきよりも体は軽くなっていました。
後になって考えてみると、そこまでに1.5Lを消費してしまったのはおそらく心理的な原因だったのでしょう。行動時間13時間、夜の2時を回って気温はさらに下がって来ていました。発汗量は下がっていました。給水が足りず、そうなったのか、それとも外気が冷えて、体のラジエターが水の消費を必要なかったのか。

 大岳山はこのコースでは珍しく岩場が続く急峻な登りの区間です。ハイな気分は消し飛び、ローギアに戻してじわじわと登る忍耐の時間が再び始まりました。記録を見るとここがもっともラップがおちてキロ36分かけています。次回はどうやらここの攻略がポイントになりそうです。

 しかし、全量ポカリスエットを選んだのは運がよかった。体内に過剰摂取された水分で発汗は続き、無補給で大岳山に登る事ができたのです。

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ハセツネ参戦記 その4

休憩の間に、モンベルのウインドブレーカーを出して着込むことにしました。雨対策です。再び走り始めましたが、今度は下りも含めてスピードが思うように上がりません。先行するランナーのライトもあまり見えなくなり、時々完全な一人旅となりました。孤独と不安、そして疲労によっておもうように足がさばけずミスフットが目立ち始めます。あせりが心にしみこんできました。ここでは平均して登りの区間が増えているためスピードが落ちているので当然の事のはずでした。泥濘との苦闘で冷静さを失っていたようです。

 再びベンチを見つけると、ついに立て続けに腰を下ろしてしまいました。「落ち着こう。」
さっきの休憩でなにかがおかしくなってしまったのです。気分を変えるため何らかの変化が必要でした。すでに水はほとんど無く焦る心を落ち着かせるために何をしようかと考え、折角着たウインドブレーカーを脱いでしまいました。たしかに寒さは防げたものの寒いと感じたのは足、とくにふくらはぎです。上半身はむしろラジエターに毛布を掛けたようなものであまり役に立っていません。それに最前から雨も次第に小やみになっていました。

いま、記録を調べてみると三頭山の登りが前半では、もっともラップが落ちています。しかし驚いたことに、心拍数は雨が降り耐える時間の間に見事に落ちてきています。このデータ、本当は公開したくない。(笑)

ここに体温のログがあれば心拍数と見事に連動したのではないでしょうか。今回のこの区間では、最大の登り区間に、雨が降り周囲のランナー全体のペースは落ちていたはずです。この高負荷にたいして当然の事ながら水消費とエネルギー補給よりも体温調節が鍵になったはず。本格的に雨具を着込んでも心拍を下げられなければサバイバル出来なかったと思います。

 ひたすら登り続ける間に大沢山を越え、突然、森の中にたくさんの点滅ライトと小屋とテントが現れました。三頭山の避難小屋です。オフィシャルのみなさんが「頑張れ~」と声を掛けてくれる中をよたよたと走り抜け山頂に向かいます。次の休憩はとにかく、山頂。それだけを心に決めて動き続けました。

 残された力をふり絞って山頂に到達すると、再度ベンチにへたり込みます。しかしうれしい事に頭は再び冷えて心のざわめきも落ち着いてきました。バックパックを開き、豆大福をほおばります。「うまい。」1パック770円のベスパプロを一気に飲み込みます。

気がつくといかにもベテランという感じのオフィシャルが知り合いらしい選手と話しています。
「リタイアするのはここだとどこからですか?」
(リタイヤか。そうだなぁ。)と私は心の中で反芻しています。

「鞘口峠までいって都民の森。どうしたの頑張らないの?」(うん)
「いや、もうきょうは無理」(だよねぇ)
「なんとか月夜見までいって見たら?水をもらうと気分が変わるよ。」(え、そんなもんか?)
「いや、足が調子が悪い。このままだと歩けなくなりそうなんで。」(うーむ。おれはそこまでわるくないな)

 再びエアサロンパスDXのお世話になり、私は走り出しました。ここから少なくとも鞘口峠までは下りです。その間に体を回復させよう。行動しながら体力の回復を図るのは初めての発想でした果たしてうまくいくのか。とにかくトライしてみよう。

 再び闘志を胸に走り始めたこの区間。今度は数時間前から気になっていた左の膝裏の疼痛が酷くなり、足運びがおかしくなり始めました。思うように上がらないのです。

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息子と妻の弁当作り終了なう

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2010年10月13日 (水)

ハセツネ参戦記3

まったく初めての山道を辿ることすでに1時間以上。路面はぬかるんで足が取られ続けます。設定はローギアのまま、片足を上げては滑らない場所を指先で探り続けます。この耐える時間にも色々と考えることはたくさんあります。

 出し損ねていたヘッドランプはいつ出すのか。そろそろ行動時間は8時間になろうというのに、栄養補給も5時間ほど前に行ったきり。足はついに左の膝裏がしくしくと痛みだし、右足はハムストリングスだけでなく、股関節がずきずきと痛み出しています。
 ここまで立ち止まる以外の休憩なしにやってきたのは実は止まった瞬間に疲れが出て動けなくなると思っていたからです。思い返すと、3年前の荒川マラソンで初めて挑戦したときもそう感じていました。あのとき、最初の新鮮な気持ちで頑張ったときにも、これまでで一番良い結果が出ています。自分に対して詰めが甘い私は初心を忘れることが多いのです。何もかもが初めての今回のレースは私にとって、わずかな消耗をも避ける忍耐のレースであることを自分に言い聞かせる時間となりました。


 また一つ坂を越えた所で、一つの坂を登り切った所でベンチが見えました。忍耐に限界が来ました。もはや格好つけてもいられません。どんなに駆け引きをしても、強い選手は強い。次々に追い越され始めます。スプリットタイムはキロ27分を越えていました。がんばりもここまでか。ついに道を外れてベンチに崩れ込みました。

 目の前を過ぎていくランナーもじっと孤独と疲労に耐えている、そんな感じでした。中には大声で話し続ける人々もいましたが、必要以上の大声で、疲れを紛らわせているのが見て取れます。
 
 「疲れた」と口に出してつぶやいてしまえばそのまま嫌になってしまうに違いない。私はバックパックを下ろすと、まずヘッドランプを装着。そして持ってきたアミノバイタルを2包一度に口に放り込みハイドレの水で流し込みます。

 やってみるとこんなにまずいものはありません。さらに持ってきた大福を一つ口にしました。平素、素人ながら食にはうるさいのを自認している私ですが、これほど酷い食い合わせは考えたこともない味です。乾いた舌でざりざりとまとわりつくアミノバイタルの顆粒が与える人工的な酸味が豆大福の強烈な甘さと混じり合います。しかし、心配していたようなのどにつかえる感じはありません。それでも、この水の足りない状況で、奇妙な味を口から洗い流すことは出来ません。そしてベスパプロを取り出すと封を切り、吸い付きました。

 足がこわばってくる前に立ち上がろう。最後にエアサロンパスを取り出して、膝、大腿部、ふくらはぎにたっぷりと噴霧して取り出したものをしまうとバックパックを背負い手をついて立ち上がりました。実は休憩所の選択も作戦の中で決めていたのです。疲れてきたら、休憩して再び立ち上がるまでが心理的に一番の山。戦う気力を取り戻すためには、そこからはわずかでも下りであること。そして立つときに力のいらない膝上くらいのたかさのベンチであること。ハイドレのホースが泥で汚れたらそれだけで気力が萎えてしまうかもしれないので、ベンチはそうした意味でも疲れて散漫な状況での作業に向いているのです。

さて、出勤の時間です。残りは帰ってから。第3部はなお続きます。(長いって!!)

あ、そうだ。よければコメントくださいね!

ハセツネ参戦記 その2

浅間峠ではまだ天は明るかったものの、地面はよく見えない状態でした。周りのランナーはバックパックをおろしてヘッドランプを装着し始めていました。しかし私はウエストポケットに入れたハンドライトを走りながら取り出してそれ一つでなおも走ってきたのです。水の事と言い、ライトと言い今思うと少し焦っていたのかもしれません。

第1CPの浅間峠を越えて20分余り。それまでは激しい登りの区間を除きキロ10~14分台前後を維持していたペースが、土俵岳にかかると16分台に落ち始めます。小棡峠、丸山、笛吹(うすひき)峠、笹尾根と長い稜線が続きます。地図にはカヤトの原が続く静かでなだらかな山並みとありますが、暗い視界の中で繰り返すアップダウンは体力を確実に奪っていきます。

 正確には覚えていないのですが18時30分を回った頃、多分丸山の登りにかかっていたとき、突然雨が落ちてきました。その瞬間は本当に天候を恨みました。雨は体温を奪い、さらに体力の消耗を強いるからです。周囲ではランナーが何人も慌てて立ち止まり雨具を身につける姿が見られました。しかし、よく観察してみると雨粒は森の分厚い梢に遮られ、まばらに降りかかる程度です。この程度なら、体から吹き出す汗の方がよっぽど濡れの原因になっています。いまはまだ、冷えによる消耗よりも暑さがしのげ、さらに消費量を増している水分補給をこのことによって抑えた方が得策だ。そう判断するとそのままレースを続けることにしました。

 丸山の登りから笹ヶタワ峰で時刻は7時頃。いつか雨は森を突き破り地面を激しくたたき始めていました。槇寄山に近づくにつれ、斜面はさらに急になって来ます。先行するランナーたちの足が地面をえぐり路面はあっという間に泥濘と化してしまいました。登ろうとすると足をどこにおいてもつるつると滑ってしまいます。周囲でトレランポールを用いているランナーは腕を振り上げ、ポールを地面に刺して力任せに体を引き上げています。

 その姿を見て、まだ余力はあったのですがそれまで自分ではセカンドギアと言っていたペースをあえてローギアに落とします。笹ヶタワ峰の登りでキロ25分台。体を水平に保ち、泥濘に顔をのぞかせるわずかな木の根やコース脇のあれていない枯れ葉の上に片足をそっと乗せゆっくりと体重をかけていきます。それでも体はずりずりと滑り、一瞬でもバランスを失うと本能的にリカバーしようとして筋肉が収縮し、痛み始めていたふくらはぎが耐えきれずに震え出します。その痛みと来たら本当に酷いものでした。

 私の後ろには常に何人ものランナーが続いています。しかしこの状態ではいちいち道を譲っていたらいつまでたっても進めません。ルールやマナーを破っている訳ではありません。道の真ん中は広く空いているのです。こういう時のルート取り、ステップの発見力はランナーではなく、ヤマ屋の経験です。後ろの元気のよいランナーが焦れているのが息遣いから手に取るように分かります。何度かは山道が回り込む場所であえて場所を空けてやることもしました。案の定、その瞬間に大股でもっとも滑りやすいところに無理に足をかけてきます。それを2~3回繰り返すと、彼はついに私を追い抜いていきましたが、5分ほどで、木陰によって膝を押さえ行きを荒げているところに追いつき、難なく抜き返すことが出来ました。そのとき私は心の中でつぶやいていました。「ハセツネは山岳耐久レースという名前なのだ。耐えることもレースの内だ。あせらず、つるつるの斜面を攻略していこう。」

 前回、視界ももう一つのポイントと書きましたが、この点でも周囲のランナーが実はよく見ていないものに気がつきました。焦るランナーはこの坂がどこで緩やかになり始めるか分からないまま、無理にスピードを上げてくるのです。ハセツネでは闇の中で点々とその先に明かりが見えます。そのちらちら見える距離や仰角、そして移動速度で坂のアップダウンが目測できるのです。私自身はナイトランの経験はほとんど無いのですがそのことに気がついた事は幸運でした。消耗を極力抑えるために厳しい坂はローギアで登ります。ただ、坂が終わりかけた辺りでは徐々にペースを上げて下りに備えるのです。そうすれば一つの山を越えたときにすぐにセカンドギアにスイッチが入ります。闇の中だからこそ逆に他のランナーの明かりがそうした動きを予測させてくれました。

 ついに西原峠、槇寄山を越えたあたりでは泥濘で路面が滑り、踏み出した足が大きく前にずれていきます。バランスをとりながらスリップも推力に使おうとしましたが隠れた木の根や岩が引っかかりバランスを崩します。2回ほど大きく尻餅をついたのを覚えています。しかし、2回とも転んだ反動を利用してそのまま立ち上げることが出来ました。思ったほどの消耗は無く、長くスキーをやっていたのでそのおかげかなと思うと同時に、ポールを持っていればとこのときは強く思いました。タイムはキロ11分。17分。気がつくと確かに全身が濡れそぼっていましたが、水を飲みたい欲求は抑えられ、一口飲みを再開することが出来ていました。雨具を着ない賭けは当たったかに思いました。

 槇寄山から先は、例の試走をサボった場所です。このコースの最高峰、三頭山から第2CPの月夜見山、天神山、小河内峠、御前山までが未知の区間。このとき本当に自分を甘やかした事が悔やまれました。
 

 

2010年10月12日 (火)

ハセツネ参戦記 その1

あれはまだ暑い夏の訪れたばかりのことだった。ひょんな事から職場にハセツネ6回目の猛者がいることを知った。8月の後半から彼からの誘いで一緒にハセツネコースの試走に出かけることになった。毎週ポイントごとにテーマを絞ったトレーニングメニューに実は相当驚いた。このレースはここまでしないとならないのか。暑さと戦いながら滝の汗を奥多摩の山々に落とし続けました。

 しかし、彼ほど意識が高くない私は時々サボってしまい、結局一番標高の高い、三頭山周辺と最後の日の出山から金比羅尾根は試走しないままの参戦となってしまいました。前日から両ふくらはぎと左のハムストリングスが軽い痙攣を繰り返し、コンディションとしてはやや心配な感じ。水と食料を詰め込んだバックパックは驚くほど重たくなりました。

 10月10日。ついに大会の日です。前日までの雨が心配でしたが予報通り午前中に雨は上がり、日が差してきました。家を出るときはフルのタイツを履いていたのですが暑さ対策にセッティングを変えることにしました。サポーターのついた短パンに下着なし。足はふくらはぎのサポートを履きます。完全に夏向けセッティングです。夜の冷え込みが心配でしたが、ここは賭けです。
事前に聞いていた情報とは違い、荷物は体育館の中で保管され、場所取りはできません。このレースは到着が早い人だと深夜で終電後になるので、体育館が仮眠所になるのですが、完走後先着順という方式に改められたようです。荷物を預けてさあ、出発準備完了。トイレをすませてうろうろしていると、出店しているお店でキネティックテープを500円で購入するとテーピングをしてくれるとのこと。気になっていたふくらはぎとハムストリングスにテーピングをお願いしました。これも初体験でしたが、これは後になって素晴らしく効き目を発揮しました。

 スタートは13時。2400人ものランナーが武蔵五日市の町を駆け抜けます。谷を渡り、一人で来た試走の時に迷いに迷った取り付き点まであっという間です。使っているGPSロガーガーミン310XTは公称24時間なのですが、大事をとってここで1時間休ませることにしました。途中で時計が使えなくなってしまうと困ってしまうから。結局、この心配は無用のことでしたけど。
 Twitterで誰かが書いていたように、先は長いので今熊までの登りは焦らずじっくりと取り組むことにしました。今日は気持ち的に3段階のスピードを設定。急坂を登るローギア、軽い登りと難しい下りの2速、そして走りやすい下り坂用のトップギアです。

 暑い夏はそれなりにつらかったけど私にはよい結果をもたらしてくれたようです。試走では息も絶え絶えだった刈寄山の登りは案外軽くこなせました。先が長く抑え気味ながらも下りはつい所々飛ばして来ていたため、入山峠についたときにはむしろ驚いたくらいです。道の様子と稜線までの時間が分かっているのでペース配分がうまくいったのです。着替えは成功でした。すでに体からは真夏と同じくらいの汗が流れ出しており、あのままのセッティングではとても走れなかったと思います。その後やはり迷ったあの市道山の登り、醍醐丸への吊尾根では抑えなければと自分に言い聞かせながらもいい気になってトップギアへ入れてしまうほど。事前の足の痙攣はほぼ治まっていましたが、筋肉の奥にはやはり疲労感があり無理はできないはずです。

 このコースの最初の課題は水補給です。第2チェックポイントは40キロも先ですがそこまで水の補給場所は1カ所しかありません。しかも、コースを外れて5分くだらないとならないのです。そのため、試走では第1CPである浅間峠(22.6K)までに飲み干していた2Lの水を本番では42Kの月夜見まで持たせなければならないのです。そこで前半はなるべく水の消費を抑えることにしました。予備関門である醍醐丸(15.2K)の登りで我慢しきれずに最初の一口を飲みました。

 水を飲むときのこつは軽い下りの場所で、ハイドレーションのチューブをくわえ、口におちょこ2つ分くらいの水を吸い込みます。それを口の中で回しながら乾ききった舌をしめらせていきます。そして最後にゆっくりと少しずつのどに流し込みます。これはBorn to Runという本で出てくるタラウマラの民が若者に教え込む水の飲み方です。特にレースの前半では渇きは感じるものの体内にはまだレース前に摂取した水分があるはずなので、これで十分のはず。
 実はこれは危険なやり方でもあります。自分が考えている以上に水分を失って意識混濁になれば、この山道で何が起こるかわかりません。私は早いときで平地ではキロ4:20程度が最高ですが、トレイルランの下りではそのぐらいのスピードは軽く超えてしまいます。道は人一人がやっとですし、所々前夜の雨で片側が崩れている場所もあります。そうしたところをすでに1000人近い人間が走っているので、もしかすると崩れてしまうかもしれないのです。

生籐山の登りでまた一口。ここで我慢がきれて、タラウマラの長には申し訳ないけど、ゴグリゴクリをはじめてしまいました。ただ、試走の時には必ずむせていましたが、むせることが一度もなかったので、それなりに抑えた飲み方ができたのでしょう。

 生籐山、熊倉山から浅間峠はペース配分に注意しながら越えていきます。第1CP の浅間峠は試走の時よりも2時間以上速いペースでたどり着きました。試走の時はおそらく1時間半くらいの道迷い&休憩があったので30分くらい速度を増しているのでしょうか。この辺りで考えていたのはとにかく人生初めて50キロを越えるレースに出ているということ。まだ先は長い。ちょうどこの辺りは2回ほど試走しています。また、恥ずかしい話ですが、ノボリッターの皆さんとハセツネ32Kの試走に来たときも完全に間違えてここまで来たのを思い出します。暑さと疲労がたまるにつれ水の消費量が増えていきます。いつの間にかバックパックが軽くなり、おそらくもう1L残していないことが分かりました。「やってしまった!」このときはあきらめて日原峠で給水を考えていました。

 第1CP浅間峠を17時9分に越えると辺りは次第に暗くなっていきます。するとそれまで気がつかなかったのですが、コース上には1キロ、またわかりにくいところは500メートルごとくらいでしょうか、こまめにコース案内があり、しかも自転車のテールライト用のランプが取り付けられ赤く点滅しています。これは遠くからも見え、この後こころが折れそうになるとこの明かりに勇気づけられ本当にありがたかった。CPを越えてしばらくすると暗くなりライトが必要になりました。

 やがておそらく日原峠だというところ。道が二つに分かれて標識は左を指しているのに何人もの人が右に行きます。水場を目指しているのです。下り15分。水補給の列に並び、再度登り返すと間違いなく30分以上のロスになります。ここから水配給のある月夜見まではさらに20キロ以上。迷いましたが足を止めることなく走り続けました。そのときの判断がどうでるか。今回のいくつかあるポイントでも最大の難問だったかもしれません。

 暗くなってからのレース展開のもう一つのポイントは視界です。昼間は登りの長さが木々の間をこぼれる明るさで次のピークまでの距離を予想することがある程度できます。しかし、辺りは全く暗くなり、しかも曇っているので星も見えません。見えるのは先行するランナーのライトだけ。日が暮れたというのに、汗はひどく流れ続けます。足は寒さを感じ始め、体温調整がおかしくなり始めています。ふくらはぎは時折ぴくりぴくりと痙攣の予兆があります。

 土俵岳への登りでさらに体力を消耗した私は水の消費量を抑えることが出来なくなってきました。このままでは完全にドライアウトします。しかも、そこに、森の頭をたたくようなしずくの音。雨が降り出してきたのです。ここに来て、さらに悪条件の追加って、嘘だろう?

第2部へ続く。

2010年10月11日 (月)

hasetsuneにでてきた。

山岳耐久レース長谷川恒男カップ。
奥多摩の山を71.5キロ駆け抜けました。
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